2010年08月22日

多摩川花火

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今年で四年連続で鑑賞。いつもより立ち見客が多かったのは都会風?それとも酷暑のせい?

今年の花火はこれで終わりになりそうだ。
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2010年08月19日

上海 Vol.86

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携帯がダウンしてから早5ヶ月。気まぐれに付いたり消えたりしていた液晶がついに付かなくなってもまだがんばっていたけれど、ようやく機種価格が下がったので機種変更をする事にした。

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おのずとブログも開店休業だったが、ひさびさに上海に向かうので新品の携帯画面を開いてみる
ことに。

なんか成田エクスプレスも、モデルが更新されてるみたい。
機能はともかく見てくれはきれいだ。

上海出張も5月以来。ずいぶんご無沙汰になってしまった。この間、将来形で語ってきた中国の脅威、日本の凋落がいよいよ現在形で日常的に語られる様になってきた気がする。

JALのビジネスクラスに赤んぼ連れの中国人家族がまとめて席を取っているのも、上海便とは言え見慣れぬ光景だった。国家の富をそそぎこんで何とか残そうとしているナショナルフラッグがこの様子では、複雑な思いをぬぐえない。
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2010年06月06日

告白 ★★★★★


本屋大賞を受賞したサスペンス小説の映画化、だそうだ。
原作を読んでいないが、個人ごとの長い独白が、交流のない人間関係の中で続き、物語を構成していく、という内容らしい。

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ストーリー自体には疑問が多い。特に中学生という思春期の世代を対象に、こんなに人間不信や猜疑心を前面に出してしまう作品が本当に今の世の中に必要なのか。性描写は皆無だが、中学生には見せてはいけないR15指定、というありさまだ。

それでも・・・。それでも映画作品としての衝撃度と完成度はきわめて大きい。そしてそれは一にも二にも、「松たか子」なのだ。


良家の子女で若さと善意と明るさの象徴だったトレンディードラマの女王たる松たか子が、結婚し33歳という中堅の年齢を迎えて、本気で身体に流れる役者のDNAをむき出しにしてきた。おそらく彼女の芸歴の中でも、人生の分岐点になる作品として、後世に残るのではないかと思わせる。

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冷静で丁寧でひたすら静かな語り口の中に、狂気ともいえる執念の復讐心がひしひしと伝わってくる。1時間半強の作品なのだが、後半に入ると、ほぼ満席の客席はシンと静まり返り、身じろぎもできない様な緊張感につつまれる。この雰囲気は、ウィットと笑いがないと成立しない邦画の世界では、本当に珍しい経験だ。

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そして、最後の最後に松が見せる、仏が般若に変わるアップの表情は、長く邦画史に残るほどの凄絶さを伴って迫ってくる。実は松のこの表情を撮りたくてこの映画は作られたのではないか、と思わせるだ。

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未婚の母である中学校の女性教師が、自分の愛娘の命を奪った担任クラスの生徒2人に、手段を選ばぬ復讐をしていく。少年法で守られている子供たちに真の天罰を与えるために、警察や裁判の道をあえて封じ、命には命をもって購うという、母親の怨念をはらしていく。犯人である2人の生徒にもそれぞれ母親がいる。学級を舞台にした3組の母子の確執がからみあっていくのが、何ともやりきれずすざまじい。

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あまりに若い生徒の、そして人間の、心の暗さや嘘、思春期独特の身勝手な思い、さらには無力な学校の機能があからさまに語られていく救いのなさに、嫌悪感を感じる人も少なからずいるのではなかろうか。本当は復讐心に正義などないのだ、という思いが、垣間見る余裕のない展開なのだ。

人の心のあやを封じてしまったこの作品の評価は、観客の映画に求めているものによって、ずいぶん分かれるのだろう。

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こういう邦画が出てくることへの今後の期待と、松たか子に敬意を表して★5とさせて頂いた。

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2010年03月21日

サヨナライツカ★★★☆☆

終映まぎわの劇場鑑賞に新宿バルト9へ出かける。

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夜のプログラムだったこともあわせ、せいぜい20名の入り。なぜだか女性連れが多い。そういうストーリーだったっけ?


70年代半ばにバンコクに赴任した「好青年」こと東垣内豊(西島秀俊)。お見合いで婚約した令嬢、尋末光子(石田ゆり子)を日本に残し、新興格安航空会社であるイ−スタン・エアラインズの営業広報担当として、未開市場であるバンコクに赴任する。

携帯電話やパソコンはおろか、まだ真夏の事務所にエアコンが入っていないころの話だ。人々の娯楽も草野球にビアホールに、と前時代的なものばかりだ。

「好青年」豊は、こうした環境の中、会社の市場開拓の付託に応えて実績を上げていくのだが、光子との結婚が4カ月ほど前に迫ったある日、幼馴染の会社の冴えない同僚が付きあい始めたというあこがれの謎の美女、間中沓子(中山美穂)に酒場で出あう。彼女のもつアンニュイで放蕩な部分に、結婚前の豊は遊び心から、お見合い相手の令嬢である光子にはない惹かれるものを感じる。

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沓子は、かつてさる金持ちの「彼女」だったのだが、若い西洋女に乗り換えられ、多額の手切れ金で捨てられたという過去があった。バンコク有数の超一流ホテルであるオリエンタルホテルのオーサーズ・ラウンジ。そのサマセット・モーム・スイートに定住しながら、あたかも自分を裏切った男たちすべてに復讐するかの様に、男を漁る生活をしていたのだ。ホテルの従業員は、沓子の連れを、誰であれホテル内では「ミスター・マナカ」と呼ぶのである。

沓子にとって若くエネルギーと野心にあふれ、自分に興味は抱いても、他の男達の様に自分に簡単になびこうとしない「好青年」豊は、新鮮な存在だったのだろう。相手に結婚が迫っているという事情も手伝ってか、彼女は自から豊の狭く汚い借部屋を訪れ、ものも言わず裸になり、情事をもつのだ。

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それ以来、ふたりの関係は4カ月におよび、豊の私生活は日々に乱れ、勤務評価にまで響きかねない状況になる。東京で結婚式を待つ光子からの連絡も、なかなか容易に取れなくなる。豊は、沓子とのただれた関係に踏ん切りを付けようと何度も試みるのだが、そのたびに沓子の持つ魔力に負けて関係はずるずると続くのだ。それまで数多くの男をもて遊んでいたはずの沓子も、豊から邪険にされるほどに、相手にのめりこんでいく。

そんなある日、ホテルの部屋に唐突に、日本で待っているはずの光子が現れる。心乱れる沓子を傍目に、光子は正妻のいいなずけである立場から、丁寧で上品な物腰ながら妥協や容赦のない要求を沓子に求める。来週の月曜までに消えてください、と。

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そんなことは露知らぬ豊は、沓子と喧嘩別れ同然で、沓子がニューヨークに去るところをバンコク空港で見送るのだ。寸前まで平然と装っていたが、彼女の姿が見えなくなったとたんに、涙がとめどなく流れる。と、そこに光子が何食わぬ顔で現れ、「あなた何を泣いていらっしゃるの」と、これまでの事はおくびにも出さず、彼を抱きしめるのだ。

こうして日々は流れ25年の歳月が過ぎる。それ以来、バンコクへの訪問はなく、豊は航空会社の副社長にのぼりつめている。年老いた妻、光子とふたりの息子との家族。高級マンションに住む身分だが、かつての表情の輝きはなく、あたかも魂の死んだ人間の様だ。

そんなある日、タイ航空との業務提携のプロジェクトを指揮することになる。25年振りに訪れるバンコク。宿泊先はいわく付きのオリエンタルホテルだ。要人との面談を終え、ホテルにチェックインする豊に接近する影が。なんと沓子が、ホテルの従業員になってVIPマネジャーとして勤めていたのだ。ようこそ、お待ちしておりました。と豊をあのオーサーズラウンジのサマセットモーム・スイートに案内する。この短い再開は二人の心を昔に戻し、ふたりは今になっても本当の愛情は、あの時のふたりの間にしかなかった、と強く信じる様になる。

業務が終わって日本に帰国した豊。アングラロックのボーカリストになって社会からドロップアウトした長男が、人生の夢を追いかけている姿を改めて目の当たりにすると、突然、その後就任していた社長職を辞職すると、光子を残したままバンコクに向かう。沓子と人生をやり直そう。ところが沓子は不治の病いに冒されており、面会もままならない。死を寸前にして、豊との最後の散歩に出るために、病床を離れ、化粧をする沓子。ふたりの短くもはかない再会の直後に、沓子は誰に知らせることもなく、独りで世を去り、豊が訪れたときには、密葬も終わり、火葬された灰はすでに川に流された後だった。


悲恋のものがたりである。豊の人生っていったい何だったの、とむなしさがこみ上げるのはどうしようもない。25年間、すべてを胸にしまいこんで、家族のため夫のために尽くしてきた光子の立場はどうなるのだろう。これじゃあ誰も浮かばれない。

サヨナライツカ、という題名は、光子が結婚前に独りで書いている詩のタイトルだ。その中で、光子はこう書く。「人間は死ぬ時に、愛された事を思い出す人と、愛したことを思い出す人に分かれる。」

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「あなたはどっち?」と。

最初にあった頃の沓子は「愛されて死ぬ」と即座に答えた。光子は「愛したことを思い出す」のが自分の人生だと言い切る。愛の本質を問う場面だ。にもかかわらず、結局、誰の愛情も満たされることなく、物語は終わるのだ。



中山美穂の起用に疑問の声が大きい様だ。原作者の辻仁成が再婚した相手であり、パリに移住して12年ぶりの映画への復帰、と大いに話題になったのに、大画面に残酷に映し出される美貌の衰えは39才にしてはあまりにひどい、というものだ。私は中山美穂のファンではないので美貌の衰えはともかく、そもそも破天荒な官能的な南国の美女、のイメージは彼女にはもとから乏しい。もっと知性的な透明なイメージを彼女は売りにしていたはずだ。

なんだかミスマッチ。身内の人選なんかでキャスティングしていいのか。だいたい濡れ場が何度か出てくるが、妖艶さもムラムラさも感じないじゃないか。それに比べて石田ゆり子の演技は堂々として存在感がある。これじゃあ太刀打ちできない。

そう思ってみていたら、いやいや、真夏の夜の女王だったはずの沓子は、この映画では、昼の正統派である光子に白昼迫られ手も足も出ず、さらには、豊と別れてニューヨークに行ってからも、結局豊が忘れられずに誰とも恋をせず、バンコクに戻りひょっとして豊に再会できるなら、と25年間、そのホテルに勤めて待ち続けていた、というおしんもびっくりの純愛のヒロインに変身していくのだ。

なあるほど。この落差を描くために、プリプリ・イケイケの女優を選ばず、敢えて知的な中山美穂、とのキャストだったのか。そう読み替えてみれば、物語の流れもわからなくはない。人生に翻弄されて世を去っていく沓子を「悲劇のヒロイン」とみなせれば、確かに感情移入が可能なのかもしれない。

「愛される」ことしか念頭になかった沓子が、豊との出会いで「愛する」ことに目覚め、残りの人生の25年間を会えない過去の男を愛しつつ待つことに捧げていたという展開がそれを裏打ちするのだろう。

しかしながら、この作品のわかりにくさは、原作が男の視線で作られていることなのだ。それを映画の中では、豊の目線や心理には直接入り込まずに、あえて距離を置いている。しかも前半に起きているできごとはいくら若い日のバンコクの話とはいえ、あまりにはちゃめちゃで、観客はキャストの誰に感情を置き換えていいのかちっともわからない。沓子の25年間だって、ほとんど説明をふっとばしてしまっている。

しかも、原作にない(らしい)シーンがあまりにふんだんにあるので、同じ作品とは思えないらしい。(光子と沓子のバンコクでの対決、息子達のシーン、ホテルでの沓子の看病、沓子が死んだ直後のシーン、などは原作にはまったくなかったとのこと) 短い挿話がいくつも加わり、話がますます混乱してくるのだ。

挿入されたシーンの多くは、正妻であり家族のシンボルである光子やその子供たちのシーンだ。ひょっとすると、監督の価値観では、『家族』と『愛人』というふたつの価値のはざまに立たされた男の心理的葛藤、という儒教的なアプローチがないと、この話自体を表現できなかったのではあるまいか。
だから、唐突に社長を辞め家族を捨ててバンコクに飛び立つ、などという非現実的なシナリオに変ってしまったのだろう。

若い純愛(=手に入らない相手を求める心の襞)を切り取る名手であるこの韓国人監督には、倒錯した大人の男女のどろどろした二股愛の思い出を描くには荷が重すぎた、と評するのは酷だろうか。


ずいぶん長く感じられた本作の上映が終わり、そそくさとシアターを去ろうとした時に、クロージングの女性歌手の声が足を止めさせた。
最近はやりのアルファベット表記の女性歌手か何かかと思いながらも、その声の伸びに聞き惚れてエンドロールを最後まで辛抱強く探していると、これがなんと我が中島美嘉のAlwaysという新曲だった。

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[ PV] 中島美嘉:ALWAYS



[ 2010.01.22 MS] 中島美嘉:ALWAYS


いやあ最後の最後にすべてがむくわれました。これで★1つ追加。
1800円のもとを取り返した気分で劇場を後にしたのであった。

posted by カボリン at 23:40| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月14日

「2030年:日本はありますか」産経新聞3月7日朝刊より抜粋掲載

【人材は海外から】

 2030年、つまり20年後の近未来をさまざまな立場の方に問いかける本連載。最終部となる今回のシリーズではヒト・モノ・カネが国境を越えて行き交うボーダーレス化社会の行方を考えたい。とりわけ、生身の人間であるわれわれの近未来は、ボーダーレス化が進むとどうなるのか。

 わが国に暮らす外国人は平成20年末時点で、在日韓国・朝鮮人らの特別永住者42万人を含め221万人。国籍は190カ国に及び、全世界の人が住んでいる。

 インド人も過去10年で倍増し2万2千人を超えた。背景にはIT分野の人材不足がある。インド人が日本へ来る一方、大手電機メーカーは中国やインドへソフト開発などを委託している。積極的な企業の一つ、NECは全世界で約6千人に委託しており、うち8割が中国人だ。同社は「2年後には1万人に増やしたい」という。

 かつてモノ作りの工場だけだった海外移転が人材面にまで及んでいる。さらに富裕層や高収益企業は、税率が低い国や地域へ仕事場や本社機能を移していく。あらゆる面で空洞化が進むと20年後、日本には何が残っているのか。

【ルール変わった】

 日産自動車は仏ルノー傘下となった平成11年から、社内の公用語が事実上、英語となった。役員や経営会議メンバーの半数は外国人。昇格も英語が必須で、得意でない社員は翻訳ソフトが手放せないという。

 社員の意識改革を担う「ダイバーシティディベロップメントオフィス(多様性開発室)」の高橋美由紀室長(48)はカルロス・ゴーン社長(55)の通訳などを経て現職。愛車はスカイラインという高橋さんは「企業がボーダーレス化すれば社員も変化を迫られる。日本人が変われるかどうかが問われている」と強調し、こう続けた。

 「いつの間にかゲームのルールが変わってしまった。でも、合わせなければ生き残れない。戸惑いはあっても少しずつ頑張るしかない。20年後、自動車業界は世界で何社が残っているか。その時にぜひ勝ち抜いていたい。でもそれは、この業界や弊社だけの課題ではないと思います」

 手渡されたパワーポイント資料に日本語と英語でこう書かれていた。

 《最も変化に適応できる種が生き残るのだ。(チャールズ・ダーウィン)》

 20年後、日本という国はどのように変わっているのだろうか。そもそもあるのだろうか。



【「開放」か「鎖国」か正念場】

 東京・西麻布の高級マンションに一家4人で暮らす主婦、小森唯さん(33)=仮名=は5年前から週1回、フィリピン人家政婦(37)を自宅へ迎え入れる。掃除や洗濯、キッチンの洗い物をてきぱきとこなす異国の女性と同じ部屋の中で、1歳2カ月になる次女の世話をする。

 「私(わたくし)はフィリピンに行ったことがないのですが、フィリピン人はお掃除がとても上手で家族を大事にすると聞き、お願いしました。実際、お仕事がきっちりしている。ホテルのようにシーツがピシッとなって、日本人家政婦の方とは仕上がりが違う」

 派遣元の家事代行会社「シェヴ」(東京都)によると、1回4時間で1万1500円。顧客約600人の6割は港、渋谷両区の日本人富裕層と外資系企業の外国人駐在員らで、年収1500万円から2千万円以上が大半という。

 同社は日本人とフィリピン人の家政婦が約100人ずついるが、外資系銀行出身の柳基善社長(51)は「日本人は年配の方が多くお客さまがどうしても気を使うが、フィリピーナだと頼みやすい面もあるようだ。それに、一般に日本人の採用は難しい。家事使用人や清掃業務だから皆さんあまりやりたがらない」。

 2年前から同社の家政婦として働くネニータ・サラガさん(45)はセブ島に近いサマール島の出身。21歳だった1986(昭和61)年に「歌手」として興行資格で来日した。群馬県館林市のクラブで働いた後、清掃会社員の日本人男性(59)と結婚して2女をもうけ、就労に制限のない永住者資格を得た。

 ネニータさんに20年後の日本と自身の姿を尋ねると、明るい表情でこう答えた。

 「日本は人口が減って高齢化で大変だろうけど、私たちが助けてあげる。だって私のセカンドホーム(第2の故郷)だから。私も頑張って働いて、20年後はお金持ちになって『ネニータ様』と呼ばれていたい。やっぱり楽をしたい。そういう気持ちで頑張っている」

【アジア人が介護】

 わが国は、外国人労働者を専門的・技術的分野に限り、単純労働を認めない国是を堅持している。しかし、現実にはさまざまな形で外国人が働いている。

 厚生労働省の外国人雇用状況調査によれば、昨年10月末時点で56万2818人の外国人労働者が全国の事業所9万5294カ所で雇用されている。中国人が24万9千人で全体の44%を占め、日系ブラジル人10万4千人、フィリピン人4万8千人が続く。

 2年前からは、看護と介護というこれまで認められなかった分野でも受け入れが始まった。経済連携協定(EPA)という政府間協定によるもので現在、インドネシア人とフィリピン人の看護師、介護福祉士の候補840人が全国の病院や福祉施設で働いている。

 横浜市青葉区の特別養護老人ホーム「緑の郷」。午後7時、インドネシア人の介護福祉士候補、ティアス・パルピさん(28)が夕食の介助を続けていた。

 上手な日本語で「ゴマはきらいですか。もうちょっと食べないと」。

 スプーンを持つ手が止まっているお年寄りを見つけると、ほおをふくらませながら表情豊かに声をかけ、スプーンに手を添えた。

 来日して1年半。ジャワ島の出身で父は自動車修理工だった。母国の看護師資格を持つティアスさんは「最初に来た私たちがどこまで役に立つかで、今後の流れが決まる。プレッシャーを感じますが、少しでも日本人の介護に役立ちたい」。

 入所者の一人、外川勇さん(86)は感慨を込めて言った。

 「まさか東南アジアの人に介護されるようになるとは思いませんでした。正直よくやってくれている。日本人も素晴らしいが、もう区別はないね」

【「移民」求める声】

 いずれは母国へ帰ることが建前の外国人労働者ではなく、わが国へ永住する「移民」の受け入れを求める声も上がり始めた。

 平成20年、自民党の「外国人材交流推進議員連盟」(中川秀直会長)と日本経団連(御手洗冨士夫会長)が相次ぎ移民受け入れを提言した。自民議連の政策は今後50年間で1千万人の移民を受け入れるという「移民1千万人構想」。いずれも人口減少時代に経済成長力を確保するためとして、50年後に9千万人にまで減ると予測される総人口の減少分を移民で補う発想だ。

 同じ経済界にありながら「移民不要論」という本を書いた人もいる。電機機械メーカー「シンフォニアテクノロジー(旧神鋼電機)」相談役の佐伯弘文さん(70)。同社が中国人研修生らを年間150人ほど受け入れている経験から、「彼らはまじめによく働くが、地域住民から工場にさまざまな苦情が持ち込まれ弱っているのも現実だ。企業は安い賃金で人件費を圧縮できるが、そのつけは社会や国家に回されている」とし、こう話す。

 「最も憂慮すべきは、多数の移民受け入れで日本の伝統文化が消えてしまうかもしれないことだ。治安悪化の懸念もある。排外主義といわれるかもしれないが、失ってから気づいても取り返しがつかない」

 外国人労働者の受け入れか。移民への門戸開放か。あるいは「労働鎖国」を続けるか。議論を避けるうちに、外国人の増加という現実だけが進む。だが20年後はそれほど先のことではない。

2010年3月7日付 産経新聞東京朝刊

【カボリンの記事へのコメント】 歴史の流れとして・・・・・
posted by カボリン at 13:07| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月07日

パラノーマル・アクティビティ★★★★☆

135万円の予算で全米1位のホラー映画という前振りだったが、劇場公開はあっという間に終わってしまった。

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気にはなっていたんだけれど、もともとホラー系にはあんまり興味がない。というより、特に洋画系のホラーは宗教色満載か、はたまた血糊肉片飛び散るグロか、でこれまで痛い目にあってきたので、やや敬遠してたというのが本音。

たまたま機上で上映していたので、遅ればせながら、90分弱の本作を鑑賞することに。

サンディエゴの一軒家に住む未婚のカップル、ミカとケイティ。彼女(ケイティ)は8歳のことからどうやら霊に取り付かれている、という。家を2度引越しても、そのたびに小さな異常な音や話し声がやまず、何かの拍子に再び現象として起きるらしい。これまでそれなりにそうした超常現象に付き合って生きてきた。家が変っても現象は消えないので、彼女についてまわる現象としか思えない。

これに彼氏(ミカ)が反応したことから悲劇は起きる。ソニーのビデオカメラに集音マイクをパソコンにつなぎ、二人が休む2階の寝室を夜間自動撮影して、現象の原因を探ろうとする。

夏が終わり初秋の9月18日から10月6日まで、24日間の夜の素人のビデオ記録の形のみで、本作は進む。いわゆるフェイク・ドキュメンタリー、擬似実写の手法で、わずか3名しか登場しないキャストの迫真の演技と演出効果で、リアリティはバツグンだ。

最初の夜はドアが数センチ動くのが撮影された程度だった。
ケイティが制止するのを聞かずに、ミカが毎晩、霊の存在に迫ろうと挑発を繰り返す。床に白い粉をまき、西洋版こっくりさんの降霊用ウィジャボードをこれ見よがしに部屋に置き、さらには、夜中に霊がずらしたと思われる天板を空けて、天井裏から、そこにはあるはずのないケイティの8歳の時の燃えかけた写真の切れ端を探し出す。

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さらには、霊が燃やしたウィジャボード上のこげた文字から、かつて霊に取り付かれて死んだと思われる少女の記録を、ウェブから探し出し、エクソシスト(悪魔祓い)を招くのに反対するのだ。おれが何とかしてやる、と。

このミカの軽率な行動が、悪霊(悪魔)の超常現象を激化させていくのだが、どこの国にもいるお調子もので身の程知らずのおっちょこちょいな若造であるミカの耳には、これ以上刺激しないで、というケイティの懇願も届かない。オレの女に手を出しやがって、というオスの見栄と嫉妬が引き返せないところまで事態を悪化させていく。

悪魔は自分の専門ではないが、と言いながら、最初は相談に乗ってくれていた幽霊術士も、2度目に来訪した際には、その間の霊力の高まりにいたたまれず、1分もたたずに逃げ帰ってしまう。にもかかわらず、ミカは危機が迫っていることに対処できない。そして、ついに10月6日の晩を迎える。

深夜にベットから一人起き上がるケイティ。眠るミカのベッド際にたたずみ、1時間以上も見下ろしている。それから部屋から出ていくと、巣ざまじい悲鳴が。ケイティを追ってミカが部屋を出ていくが・・。

最後にビデオに残されたのは悪霊に完全に取り付かれたケイティがミカを殺して録画カメラに投げつける最後のシーンだけだった。

数日後、サンディエゴ警察は、ミカの遺体を発見。ケイティはその後、いまだに行方不明のまま、とテロップが流れて映画は突然終わる。


見終わってまず思ったのは、ああ劇場で1800円払った人は、ちょっともったいないと思っただろうな、ということ。何しろ130万円というだけあって、安い作りだ。個人ビデオに残された怪奇現象、という話だから、民放の夏の番組でよくやっている手合いでもある。わざわざ劇場で見なくても、と思うだろう。

ただ、この作品がすごいのは、見終わって帰宅した後に、その恐怖の尾を引かせることだろう。さすがに12館の公開から口コミでまたたくまに全米に広がったというだけのことはある。この映像万能の2010年にあって、人の想像力の裏側にある暗い部分を揺るがす絶大なインパクトを、合理的に説明せず、何も具体的に描かないことによって、与えることに成功している。いわば、古代人から受け継がれている夜の恐怖のDNAを呼び覚ますトリガーなのだ。

特に広い独立したがらんとした一軒家に住むアメリカ人には、この恐怖はたまらなかっただろう。合理的な説明も理由も与えられず、わからずじまいの事件の記録、なのだから、頭で整理する余裕すら与えていないのだ。

そういう意味では、ずいぶん反則わざなのだが、描かないことによる恐怖の表現は、この映画を絶賛したというスピルバークの初期の作品(「激突」や「ジョーズ」)の十八番でもあった。

いわば実験映像の様な小作品、というのが本作の評価だ。

しかし、それにしても、欧米の恐怖映画では、かならずといってよいほど、普通の日本人の恐怖心で考えれば、絶対に見には行かないだろう、家の中で縮こまっているだろう、としか思えない場面に、真っ暗な中、のこのこ何が原因なのかを調べにいく人物が現れて、恐怖のシーンを現出・倍増させていくのだが、あれはどうしてなのだろう。いつみても、そんなアホウおらんやろう、と叫びたくなってしまうのだが。欧米人の恐怖への鈍感力、悪魔への抵抗力は、狩猟民族だけあってDNAが違うのだろうか。そうしてくれないと話が進まない、というのはわかるのだが、リアリティが損なわれれば、恐怖心も萎えてしまいかねないのに、といつも不思議だ。

今回のミカも、どうしようもないアンポンタンで、悪魔に殺されてしまっても自業自得としか私には思えないのだが、鑑賞した人たちの感想はどうなのだろうか。そんなところに関心がいってしまった。
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2010年03月05日

AVATAR 3D ★★★★☆

タイタニックの監督が12年ぶりにメガホンを取って、タイタニックの世界一の興業成績を塗り替えた。そんな掛け声にも乗らず、これまで無視し続けていたのだが、そろそろ人気にも陰りが見え始めたとの声あり、ようやく出かけることに。

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新宿ピカデリーの大きな椅子に腰かけて、大きな3Dメガネを、ド乱視のメガネの上に重ねガケする。うーん、聞きしに勝って重いし視野が暗い。

ほぼ3時間の物語。ある意味、よくできている。よくできてはいるんだが、そう思えてしまうところにこの映画の致命的な弱点があるんじゃないのか。

おそらくアカデミーを取るのだろうけれど、そしてそれにふさわしい興業成績を上げているんだろうけれど、それが作品の価値を決める目安になるんだろうか。

何よりケチを付けたくなるのが3時間という尺の長さだ。ここまで引っ張らないと描けなかったものとは何? 3DのCGでも3時間の長編ができますよっていうサンプルか何か?

世界一と聞いてしまってから見に行くと、ケチのつけどころ、ツッコミどころは満載だ。

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いやいや、それでも十分によくできている。古代人の自然と神話をたっとぶ素朴な生き方、それをパンドラの住民たちは体現しているのだろう。牧神たちの午後、等ということばが、脈略もないままに頭に浮かんでくる。人の頭脳と同じ構造の中枢神経。それをこの惑星は宿しているんだ、と。

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CGの想像力でしか描けない美のきわみを、映像が訴えかけてくる。しかも3Dで。たしかにこの世のものとは思えない構図と着想がつまっている。

だが、なぜだか心が開かない。見せられれば見せられるほど、迫られれば迫られるほどに、「すごーい」と言いにくい心情にだんだんと追いやられていく。これは何なのだろう。

ひょっとして自分の頭の中に棲む想像力の抵抗なのだろうか。

そうして最後に、アバターに生命を移して、この美しい星に骨をうずめる覚悟をする主人公。あれれ、アバターってロボットじゃなかったの。いずれにせよ人造物ですよね。サイボーグに人間が生命体を移すなんて発想がはたしてあってよいのやら。

古代の神々のメルヘンとファンタジーを、そのまま宇宙のどこかの星に設定を変えてはいるけれど、それこそが、古代史と神話を持たないアメリカ人のノスタルジーそのもので、21世紀に入っても、まだそうしたコンプレックスから彼らは抜けきれないのかなあ、とため息まじりに帰途に着いたのでした。
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マイレージ・マイライフ★★★☆☆


ジョージ・クルーニーとヴェラ・ファーミガの美男・美女コンビ。

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それまで結婚はおろか、家族や社会、友人などとの交わりを拒絶して、航空機での移動距離(マイレージ)の蓄積を人生の目標にしている主人公ライアン・ビンガム(クルーニー)。

彼は年間36万マイル、322日を航空機の移動で費やすリストラ宣告会社エージェントだ。夢はマイレージを1000万マイルためて、世界で7人目のスペシャルカードを手に入れること。毎日リストラが必要な企業を飛び回り、突然の解雇宣言を言い渡しつつも、絶望と怒りにくれる当事者に、明日の希望を与えている、と自負してもいる。

そんな彼が旅先で出会った同じ感性の美女アレックス(ファーミガ)との瞬時の恋愛ゲームに心癒される。常に移動していること、それが彼の価値であり、だからこそ、地に足を付けた生活を無視できるのだ。

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ところが、時代の流れか、IT化がこの会社にも押し寄せる。顔を突き合わせた「宣告」に代わって、インターネット通信で業務を行おうという斬新な提案を、名門大学首席卒業の新人女子社員ナタリー・キーナー(アナ・ヘンドリック)が提案したからたまらない。そんなことで仕事が務まるか。この仕事を何だと思ってる。

全否定するライアンに、社長は彼女を宣告の現場に同行して実地に教育する仕事を命じるのだ。

小娘社員を連れたベテランエージェントの活躍はいかに。

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妙なアイディアを潰さないと、と引き受けたはずなのに、いつのまにやら彼女を支援することに。その結果、エージェントの出張は皆無になってしまう。

そんな時に偶然、今まで無視していた妹が結婚をすることに。地上職(?)となった彼は、思わず親族の結婚式に巻き込まれて、価値観がゆらいでくる。そんな時に、永遠の独身美女アレックスも同行することに。環境が変わって、アレックスと家庭を持つことを夢想する様になるライアン。一気に人生の価値観の変換か?

思いつめてアレックスの住むシカゴの家にたどり着くと、そこで見たものは・・・

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傷心の彼が自宅への帰途に乗った飛行機で、1000万マイルが達成されたことを知らされ、機上でのお祝いが始まる。あれほどの人生の目標だったのに。いまやライアンにはどうでもよくなってしまった。

そんな彼のところに会社から連絡が。なんとIT化の先陣を切っていた新人女子社員ナタリーがリストラした社員が自殺をしたのだ。辞職をして会社を去るナタリー。IT化を凍結して、ふたたび航空機での面談を復活させる会社。

ふたたび機上の人となるライアンだが、過去の様にマイレージにあこがれるだけの男ではなくなっていた・・・



一言でいえば、アメリカでしか通用しない映画だろう。これが結構賞を取っているというから、その事が笑える。それを機内の映画で見ている自分もさらに笑えるのだが。お気軽に人生の時を消費する、というバブル時代の人生感でもいまさらないと思うのだが。

そういえば日本の30台後半の男性未婚率が50%を超えたらしい。

そう思うと、せめてマイレージを1000万とか貯めようという夢でもあった方がマシ、ってことなんだろうか。

くるくる変わるシーンのひとつひとつは、美男・美女の物語であることも含めて楽しいし、気軽なのだが、いまひとつ見終わっても、この映画の狙いやメッセージが見つからない。消化不良の映画でした。
posted by カボリン at 18:58| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

上海 Vol.82

雨の上海。
東京の春うららとは段違い。

いよいよ中国の世紀が本格的になってきた。
日本企業が中国の後塵を拝するシーンが続きそうだ。









posted by カボリン at 18:15| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月28日

インビクタス★★★★★

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クリント・イーストウッド監督の最新作。

南アフリカのアパルトヘイト政策が終焉を迎え、27年の独房監禁から解放されて政権に着いたマンデラ大統領の冷徹ながら熱い揺るぎの無い信念が、国家再興の礎になった、というストーリー。


ミリオンダラーベイビー、硫黄島、グラン・トリノと、次世代への遺言とも言える超傑作を70を過ぎた老優である監督が発表し続けていることには感動を超えた神がかったものすら感じられる。

これらの作品に共通するのは、社会から疎外された孤独な老人が、己の美学に固執するあまり現実を受け入れられない状況から、それまでにない出会いや経験を経て、老いの学びを通じて人生最後の変化を遂げていくというスタイルであり、そこに共通して流れるメッセージは、「暴力は報復を招くだけで何も生まない」という平和主義だ。

今回は社会からスピンアウトした個人ではなく、遠く南アフリカの実在の歴史的政治家であるネルソン・マンデラという大統領が主人公だが、映画で語られる人間マンデラの立ち位置は、クリント・イーストウッドの哲学と何らブレがない。


政治的打算ではなく「人間的な打算」だと言い切る大統領の自らの尊厳をかけた融和策、これこそがそれまでの「白人の国家」を「黒人との共生」を経て「黒人の国家」に変化させていく上での唯一の選択肢だった。

27年間の監禁という恨んでも恨みきれない「過去は過去」であり、個人的な復讐心で相手である白人に「恐れ」を与えれば、国家が崩壊するという判断のもとで、白人と黒人との意図的な友和を演出したのだ。


その中で、白人社会・アパルトヘイト・旧体制の象徴であった南アのラグビーチーム「スプリングボカス」を、みずからが先頭に立って擁護し応援しメンタルに影響を与えつづけ、かつ、ラグビーのワールドカップ開催というタイミングに合わせて国際的なPRにも使い切った。
「ひとつのチーム、ひとつの祖国」というキャッチフレーズがそれを端的に表現している。

1人を除いて全員が白人であるチームの選手達を、キャプテンであるピエール・フランソワがまとめあげる。マンデラとの面談で、ある確信を得た彼は、「国家が変ったのだから、自分達も変るのだ」とチームを鼓舞することで、遂には、競合ニュージーランドを決勝で破り、初出場の主催国ワールドカップの頂点に立つのだ。

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格闘技に近いスポーツを後半にスリリングに展開する手法はミリオンダラー・ベイビーでもお馴染みだが、今回は、民族が分裂し憎しみあっている中での国家の歴史的イベント、という高みの設定だ。

ピエールを演じるマット・デーモンは、ミリオンダラーの主人公を演じたヒラリー・スワンクと印象がそっくりだ。彼女の脇役だったモーガン・フリーマンが今回はマンデラを演じている。

そうした目で見ると、本作も、クリント・イーストウッドの一連の傑作の延長上にあるのは明らかだ。ただ、唯一最大違うのは、今作がおそらく初めての「ハッピーエンド」で終わっているという点だろう。

世界中に不条理の問いを発し続けてきたイーストウッド監督が、ここに来てたどり着いた幸福な調和、この大団円はいったい何を意味するのだろう。

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そして、複数民族が国を分断し崩壊させる様な事態に、開闢以来縁のないわが日本が、これからの少子化社会を乗り越えるために否応なく遭遇するであろう移民受け入れに向けて、この映画が語ることの価値は想像できないほど大きい。

いがみ合う民族を束ねることができるのは、唯一自らの人生そのものを以ってその信念を体現しているマンデラの様な指導者だけなのだ。金と利権と親から受け継いだ既得権。こうした政治家がリーダーを続けているうちは、この国が再生することはおろか、アジアと共存して生き残っていくことすら危うくなっていくことだろう。


「黒人、人種差別、アフリカ、政治、ラグビー。」

これらのキーワードでは今の日本の、清潔で潔癖で自分の健康と美容と食欲とイケメンにしか関心を抱かない女性たちの関心も支持も得られない。本作ほどの傑作が、公開直後にもかかわらず、ランクで低迷しているのも、すべからくこの国の実態そのものの帰結なのだろう。

今年は、マンデラの変えた南アフリカで15年ぶりにサッカーワールドカップが開催される。

世界はそこに何をみるのか。日本に住む我々があらためて彼らから学ぶものも大きいはずなのだが。


posted by カボリン at 22:47| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月11日

シルビーの若人

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くだんの六本木のライブレストラン。オルディーズ専門とあって、もっぱらおじさん、おはざんの集いなのだが、その中にあって、男女の若手がひとりずつ、スタッフとして参加している。音響担当の山本君とフロア担当の伊藤さん。ふたりとも歌手志望のたまごたちだ。

まだ名刺のない伊藤さんは、紙ナプキンに自筆の名刺。

将来ふたりのサインが高く売れるといいのだが。
posted by カボリン at 19:03| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月07日

朝青龍の引退騒動と日本社会の移民受け入れ

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場所中に泥酔して民間人を負傷させたという理由で、朝青龍が詰め腹を切らされ、異例の引退に追い込まれた。


プロの格闘技家の暴力であり、被害者と示談にはなったものの刑事罰の可能性が残るという。厳正・公平に対処すればよいと思う。

ただいかにも気掛かりなのは大相撲協会の今回の対応だ。

横綱なのだから人格も高潔に、という不文律、いわば日本の伝統を、海外から受け入れた才能ある人材に当てはめ、人間失格の烙印を押した格好だ。


もちろん、海外でもスーパースターのプレーヤーが麻薬や暴力で、そのポジションを剥奪されるケースも少なくはない。しかし、彼らの犯罪はあまねく重罪で社会影響の大きさも深刻だ。

それに比べて、今回の措置は妥当だったのか。


いや、これは朝青龍個人の問題というよりも、むしろこれからいずれ遠からず起きざるを得ない、日本社会の移民受け入れ時の「日本文化=おきて」の軋轢と崩壊の前哨戦なのではないか。


国際・海外と言えば、欧米を意味し、その文化や歴史、社会のマナーには精通している日本社会が、実際に受け入れる人々の祖国であるアジアについてはまったく無知・無関心だ。

日本に来るなら日本語で、日本社会のルールと掟で、と日本人はタカをくくっているが、たとえばインドネシアから集団で招き入れた介護関連の女性留学生達が、日本のさまざまな基準に耐えられず、期中で大量に帰国したケースなどを見るに、移民に合わせ移民が楽に暮らせる社会ルールや基準に見直さざるを得なくなるはずだ。そして、それは日本社会の様々な規範や掟=伝統を、彼らに譲歩して変化させていく事を意味する。

それがいやなら、自分達の老後の世話を見てくれる子孫をせっせと自前で産み育てるべきなのだが、そうした都合の悪い社会の「義務」には誰もが素知らぬフリを決め込んで、今今の生活レベルを一瞬でも落とさない事に疑いを抱いていない。


老人介護を移民に頼れば、タガログやカントンの片言もしゃべれなければ、人生の最期を迎えて用も足せなくなる。彼らのわがままや欲望にエサを与えないと、満足なサービスも得られなくなる。年金なり貯金なり残したわずかな財産を、礼儀はおろか日本語の挨拶すらたどたどしい移民達に頭を下げて払い続ける、そういう日々が日本社会にまちがいなくやってくる。


歴史に残るモンゴル出身の大横綱、朝青龍をクビにした日本相撲協会のこの決断が、ああ、そんな事してたんだ、昔の日本人って、とあたかも太平洋戦争前の軍国主義の野蛮さを語る様に語られる日は、もうすぐそこに来ている。
posted by カボリン at 21:36| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サロゲート ★★★☆☆

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「代用品」という意味のタイトル。公開わずか一週でランキングから消えたのもムベなるかな。この映画自体が何かの代用品?と聞きたくなる仕上がりだからだろう。

SFにしては構想力不足、ヒューマンにしては深み不足、ラブストーリーにはなりえず、アクションは迫力なさすぎ。

しかもアカデミーを狙う超大作「アバター」と同時公開では、代用品にすらなってない。
あたかもコンパクトに流れる長い予告編といった風情だ。唯一見ていて「どうする」と緊迫したのは最後のPCのボタンの選択くらい。これとて聞くところでは、その結果のシーンがテレビ広告で事前に流されていたというから、配給会社もほとんど期待していなかったんだろう。


しかしながらそれでも★3としたのは、この映画の根幹にあるメッセージには共感できるからだ。

たまたま高校の大先輩にあたる養老猛氏の「バカの壁」ではないが、人間の脳を過大視する思想から、そろそろ人類(特に先進国の住民)は回帰する必要があることに気付かないといけない。「からだ」があるから脳があるのであって、逆では絶対にありえないという自明の事実を再度、確認しなければいけない。


サロゲート型ロボットが人々の日常生活を代行する、というストーリー設定は噴飯ものだし、しかも個人が費用負担して社会での普及が進むという発想には頭を抱えたくなるが、

反面、ネットでしか他者とつながり心情や意見を交わし合う事ができず、またテレビゲームでのみ他者との接点を共有し対立・競争しうる、という「バーチャル全能主義」が21世紀には先進国民から全人類に広がるという予測は正しい気がする。

人類が近未来に終日自宅に引きこもったまま、ロボットを意識で遠隔操作して生活を営むというこの映画の構想と、根にあるものは酷似している。

インターネットやテレビゲームを一斉に崩壊させたら何が起きるのだろう。
人々はふたたび自力で立ち上がり、直接コミュニケーションを取り始めるのだろうか。それともさらなる孤立に苛まれるだけなのだろうか。


脳にこそすべての真実があるという全脳主義への批判をこの作品の根底に感じたのだが、少々無理筋だったろうか。
posted by カボリン at 15:35| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月04日

上海 Vol.81

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2010年初めての海外出張。JAL会社更生法申請後の初フライトだ。
posted by カボリン at 18:40| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バースデー@ローリーズ・リブステーキ

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2年ぶりのローリーズ。雪まじりの氷雨だというのに、レストランは満席だった。

バースデーにはケーキと歌のプレゼントが。

ふかふかのローストビーフとロブスターテールでお腹いっぱい。
posted by カボリン at 09:38| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月24日

オーシャンズ ★★☆☆☆

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「ディープブルー」「アース」に続く海洋自然ドキュメンタリ、との前評判に期待して、公開二日目に劇場に向かった。会場は7割ほどのまずまずの客の入り。

海中の映像の鮮明さ、イルカや魚群のスピードを体感させるキレのよさ、夜の海底の秘められた営み、シロナガスクジラに伴泳するスタッフの小ささ、ホオジロザメの横をハンドボード一枚で海の生き物に成りきって穏やかに泳ぐシーン。1時間半を越える尺で、迫力ある見所は満載だ。

ただ、なんだか違和感が拭えない。最初はそのうち消えるかと思ったが、むしろ時間が経つに連れて、その思いがますます募っていった。

原因を考えてみた。

@企画への慣れ
似た様な画像をちょっと見すぎた感。アースでは驚愕した鮫がアザラシを襲うシーンなど、またぁ?という感じ。

A家族連れの場内
お子様が何人かいるだけで学芸会に。そういう教育啓蒙映画だったのか。

B吹替版
母になった宮沢りえには悪いが、吹替はまったく頂けない。せめて乾いた無機質な声のナレーションが欲しかった。平原綾香も大好きな歌手なのだが、最後の締めでこのメロディじゃないだろ。
字幕での上映をなぜやらないのか?

Cあまりに情緒的過ぎるテーゼ
そこで行き着くのがこの答え。要するにこの映画のテーマは何なのか。いろいろ宮沢りえが示唆してくるのだがまったく頭に残らない。伊右衛門のお茶、みたいな情緒メッセージなら完全無欠なのだろうが…。

なかでもあきれてしまったのが、後半の「人間と生き物との和解、地球との調和の取れた生き方はできないのか」というフレーズ。

他の生物は「DNAの本能」という地球の定めた自然のルールに従って進化して今日に至っている。それなのに、人間だけがそれに逆らい、自然に戦いを挑んで破壊し続けている。しかも捕鯨したり鮫のひれを生殺しで採ったり、アジア人の不要の殺生は許せない。

その主張、ほんとうですか。

人間も生物だけど、他とは絶対的に違うのよ、理性があっていわば「神」の領域にいるのよ、それなのにそれに気付かず自制できず、地球の破壊と希少種の絶滅をこりずに進めている。海の多様性を喪失させようとしている。

その見方、ほんとうですか。
しかもこんな事、宮沢りえに語らせてどうする気?

画像は美しいのに、編集は順不動・支離滅裂で、揚げ句にアジア人批判。人間は高潔に地球で生きなさいって説教になっちゃってる。

海の多様性を言うなら人類の食文化の多様性はどうなのか。食物連鎖をあれだけ描きながら、人類の食べ物は連鎖の外なのか。

もっと突き詰めて言えば、人類の誕生と繁栄、文明の拡大と地球資源の枯渇。これも地球の長い長い自然の歴史のほんのヒトコマじゃないんですか。10億年前に大隕石衝突で地球生物が絶滅しかけた自然史に比べて、人類文明がいまどれだけ深刻なんですか。

ほんとにそうならじきに人類が絶滅する事でハッピーエンドになるだけじゃないですか。そういうこと、全部ひっくるめて実は「自然」であり「地球」なんじゃないんですか。

どうして人類(それも西洋人種)だけを特別の高等生物にしとかないと気がすまないのか。それこそが自惚れであり実は地球への裏切りじゃないのだろうか。

長々書いたが、一言でいえば、あまりに情緒的かつ一貫性のない感情的な主張と展開なのが本作への違和感なのだと思い至った。やはり宗教を含めて、背負っている文化的背景が違うと、このあたりを共有するのは容易ではない。神の子であるキリスト教の信者は、この地球を救うという人類の命題を神から授けられているのだろう。だからそうでない残りの人類(異教徒)に思わず説諭したくなっちゃうのではなかろうか。

原作の字幕をぜひ確認したいが、まさか日本化する際にあさはかなメッセージを勝手に書き加えたので無いことを祈りたい。

できればナレーションのまったくないドキュメンタリにして欲しかった。
posted by カボリン at 20:44| 東京 晴れ| Comment(1) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月10日

ケント・モリとマイケルとマドンナ

またまたマイケル・ジャクソンの話題。

これもファンの間では周知なのだろう。

24歳の若い日本人ダンサー、ケント・モリ(森健人)氏が、マイケル・ジャクソンのダンスにあこがれて米国に行きながら舞台のチャンスがなかったため、先にマドンナのバックダンサーに雇われてステージで踊っていた時に、マイケルの「This Is It」ツワーのオーディションに招待されて、なんと550人の候補から1番にマイケルが指名して合格した。

その際の話がyoutubeで語られている。

http://www.youtube.com/watch?v=cv6IpB_ZD9w

ブログを見ると、島田伸介の「深いい話」や「スマステ」でも既に年末に紹介されていたらしい。

ラジオの語り口で涙が出そうになったのは、高校生以来かもしれない。

マイケルとマドンナ。1958年生まれのふたりのスーパースターが生んだショウマンの真髄の様なエピソードだ。

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50歳になっていまだに前線でショウを張り続けていたライバルであり、尊敬の対象であっただろう二人の心模様がそのまま伝わってくる話だ。
posted by カボリン at 17:09| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月03日

マイケル・ジャクソン30周年記念

マイケル関連のブログを見ていると、確かに今までほとんど聞いたことのない特集が、国内でも最近盛んに組まれていたことがわかる。

中でも昨年7月19日にNHKでテレビ放映が行われたという2001年9月のソロデビュー30周年記念のマジソンスクエアで開催されたコンサートライブ映像がどんなものだったのか、非常に興味をそそられた。

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なぜならこの年既に43歳。30代後半まで信じられないダンスパフォーマンスを繰り広げていたマイケルが、この歳でどんな舞台を見せていたのか、大いに気になる。

テレビ放映された映像がどれなのか不明なままだが、またしてもYouTubeであさってみると、若干衰えが見え始めたといいながら、並のダンサーにはまったく引けをとらないスピーディーな動作とリズム感で、さまざまな共演者と舞台上を駆け回っている姿が残されている。

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またしても借り物ばかりだが、気に入ったクリップをリンクしておきたい。後で自分で何回か見るのに便利でもあるからだ。

30周年 ”ビリー・ジーン”
http://www.youtube.com/watch?v=l74Y_p6or00&NR=1

30周年"The way you make me feel" "Black or white"(スラッシュとの共演)
http://www.youtube.com/watch?v=OaoDQ6Z3Dqs&NR=1

ブリトニーとの共演 "The way you make me feel"
http://www.youtube.com/watch?v=GUPNfmDrWW4

Usherとの共演 "You rock my world"
http://www.youtube.com/watch?v=ENHn9UvjPrY&NR=1

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それにしても、コアファンにとってはいまさらなのだろうが、先日見つけたスマステのマイケル特集で、MJが15分のレコーディングのために3時間も音階を練習して音ズレを完璧に防いでいた、とか実は地声は低いのに、声帯を守るために喉に負担をかけないために、ああした高い声でしゃべっていた、と言った仲間たちの証言には改めて驚いた。

天才は天才であることに死に物狂いのエネルギーを費やしている。それが人に見えないだけなのだ。いや、そうしたエネルギーを費やす作業が苦痛ではなく、むしろ快楽に感じられるところが天才と凡庸の差を作っている、という方が正しいのかもしれない。

50歳の生涯をMJはどういう思いで閉じたのだろうか。
かつてのクリップを見るほどに、MJが最後のいのちをかけて守りたかったもの、エンタテナーとしてのプライド、の大きさ、重さが感じられてならない。
死を賭した挑戦は未完成に終わったが、芸術ではショパンのノクターンに代表される様に遺作のもつ力が永遠のきらめきとなることもある。

MJのパフォーマンスのすごさを改めて知らしめてくれたスマップのトリビュートは、いかにも彼ららしい謙虚さと愛情にあふれていた、というのはうがった見方だろうか。


【詳細データ】CBSで放映されたコンサート内容はこちら
posted by カボリン at 06:11| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月01日

SMAPとMichael Jackson

いつもは素通りしている年末の紅白だが、今年は思わずスマップのマイケルジャクソン追悼特集のコーナーを見た。

率直にいって、振り付け自体かなり簡素になっていたし、それすらしっかりこなせていない様に思えて、時間が短いことも含めて少々がっかりした。特に30代半ばの現役ばりばりである彼らが、短いダンスの後に息切れしているのがテレビでもはっきり見てとれた。

思えば、マイケルジャクソンがDVDになっているブカレストのツアーステージを行ったのが34才、歴史に残ると称されているMTVのビデオ音楽賞受賞のパフォーマンスが1995年で既に37才だった。

いかに彼の身体能力が神がかりだったかよくわかる。いわばオリンピックのメダリスト並みのパフォーマーだったのだろう。

しかし、スマップがいったい何でマイケル・ジャクソンなんだ?
そういえば、リーダーの中居なにがしがThis Is Itの試写会に招待された、という話も聞いた気がするが。

普段海外出張続きで、このあたりの芸能ネタにまるで縁がないので、何か、見つからないかググってみたら・・・早速 Youtubeのいくつかのクリップが見つかった。

なんと2006年にスマスマステーションに隠密来日してドッキリ出演しているというではないか。これは常識なのか?

この時のクリップを見ると、スマップが小学生の様に唖然呆然としている様子が手に取る様にわかる。いまさらながらスマップの人気の源泉が理解できた気がした。

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http://www.youtube.com/watch?v=Ym6PDGnHxAU

http://www.youtube.com/watch?v=4ellVPFSLYk

気になるとさらに見たくなるもので、話に聞いていた中居君の訪米のクリップを開くと、11月23日にスマステーションでマイケル特集を組んでいたことがわかった。

なんだよ、こんな番組みんな見てたのか。それで映画もこれだけヒットし続けてるのかー。情報の蚊帳の外にいた分、少々むかっとしたが、それにしてもスマステーション、民放でよくこれだけ取材をしたものだ、と感心もした。

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http://www.youtube.com/watch?v=H9LOq8Uc7lY&NR=1

http://www.youtube.com/watch?v=H9W_zThjZhk&NR=1

http://www.youtube.com/watch?v=nM-_qYDDpNM&NR=1

http://www.youtube.com/watch?v=lPs0_zuPEuw&NR=1

http://www.youtube.com/watch?v=Wn_l53AF2R8&NR=1


それやこれや見ていると、最後に出てきたのが、これ。

http://www.youtube.com/watch?v=b6-YcdmsJB4&NR=1

http://www.youtube.com/watch?v=_VyfQAgKUnE&NR=1

http://www.youtube.com/watch?v=8OWtmzFIb_M&NR=1

上目線で偉そうな口ぶりなのが少々うざいものの、いやはやおっしゃる通り、よくぞ言った、これが民衆の実態さ、と自分のことながら、うなずいてしまった。

正月そうそうマイケル・ジャクソン尽くし。我ながら嘆かわしいが、そういう正月です。
posted by カボリン at 15:27| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月31日

食は広州にあり:漁民新村は水族館?

広州の出張もいつもながらのトンボ帰りだったが、最大のハイライトは夕食の海鮮料理レストランだった。

しかし、これをレストランと呼んでよいのか。何でも食べる中国人の代表格が広東料理だとは確かに聞いてはいた。しかし・・・

水族館としか呼び様のない「漁民新村酒店」。こればかりはさすがにコピー不能。本場で堪能するしかないだろう。

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入り口は普通のホテル風。上階にホテルもある様だ。

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大きい案内所。建物のワンフロア、いわば日本の体育館のアリーナが三面くらい広がっているイメージだ。

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なぜが入り口すぐにフェラーリが3台飾ってある。レプリカかと思ったが、どうやら本物らしい。車は走るものだろうに。ここに飾ってどうする、と思うものの、どうやらこのビジネスで買いましたということらしい。

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最初は金魚、いやいやさすがにこれは売り物ではありません。

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システムはいたって簡単。入って右側にずらりと並ぶ市場の魚を選んでオーダーすると、ちゃんと料理されて反対側に広がるレストランの席に配膳されてくる、という仕掛けだ。

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赤い洋服が係員。彼女に言うと、水槽の後ろのお兄さんが今夜の生贄をすくってくれる。


順番に市場を見て回ることに。

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なんだかこの前行った品川プリンスの水族館を思い出した。こんなん食べて犯罪にならんのか。

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カニはともかく、まあカエルやオコゼ、カメくらいは食べるんだろうなー。

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げげっ、ムシですか?ミミズですか?これ食い物?

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わーサソリが動いてる。

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ゲンゴロウなんて小学校の教科書以来。生きて動いてるけど、まさか。
(汁=体液を吸うらしい)

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出たヘビーー。

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は?剥製っすか? 動いてるよ。ごちそうらしい。

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その卵だって。腹の中で孵化しそう。やばっ。

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ちゃんとヘビが売られてる〜

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普通ならゾッとする鶏の列もかわいく見えてくる。

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さてさて、気の弱いわれわれのオーダーはささやかに料理されてきました。

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お茶は店がサービスで煎れてくれる。青島ゴールドビールを散々飲んで
これで一人2500円。

どうでっか?
posted by カボリン at 20:49| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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